SING LIKE TALKING
『回想の詩』
 
 
 
 
 
 
■「SING LIKE TALKING」編 Page2/2
――なるほど。楽曲のもつグルーヴによってプレイヤーを代えていくわけですか。
佐藤:そう。過去の曲である「RISE」を今のドラマーでプレイするとなると、全然違うアレンジでやらざるを得ない。でも、逆にタカがいるときにできなかった曲というのは、当時やりたかった状態で今、表現できるんですよ。
例えばDEEP PURPLEの第3期のヴォーカルにデヴィッド・カバーデイル、第2期にイアン・ギラン、もっと最初のころのアート・ロック呼ばれた時期にロッド・エバンスがいたのと同じように、自分たちの音楽的な活動を長いタームで見たときに、プレイヤーが替わる時期があってもいいんじゃないかなって。TOTOなんかもそうですし。LED ZEPPELINやTHE ROLLING STONESのように、ずっとパーマネントに活動できるグループだったらいいんですけど、僕らは幸か不幸かわからないけど3人しかいないんですよ(笑)。だからこそ新しい道を切り開いてきた今までの歴史があるんでしょうし。
――だからこそ、3枚ごとに変化していると。
佐藤:ええ。今までのタカたちとやってきたことに縛られて自分たちの音楽的な興味がすべて優先できないと意味がないですよね。演奏者がメインになる音楽にはやっぱり限界があると思うんですね。フュージョンっていう世界に限界があるように。だからあえて『METABOLISM』からそういう方向に移って、当然アルバムでもライヴで見せる演奏者も替わっていくという感じなんですよね。
――なるほど。
佐藤:だから『METABOLISM』から変わった新しい空気が2枚、3枚、4枚と出し続けていけたときに、そこで初めて過去の9枚とじっくりと対峙してもらえる。ただ僕らの中で対峙していても、一般の人たちにとっては『METABOLISM』で初めてSING LIKE TALKINGを好きになった人もいるわけじゃないですか。過去のおしゃれな感じじゃなくて今がいいっていう、まだ少数派の人たちとのバランスがこれからだんだん取れていくんじゃないかな。最終的には、ひょっとしたらそういうファンが減るかもしれないし、残るかはわからないですけど。今回はこのアルバムでだいぶ減りましたけど、この状況がいろんなところで繰り返されることで、最終的には本来のSING LIKE TALKING自体のファンだけがしっかり残っていくのを見据えて今はやっているつもりなんですけどね。
――シングル・カットされた「回想の詩」をアルバムで聴いたときは、さすがに泣きました(笑)。詩の世界観がすごいなぁと思って。
佐藤:(笑)。それは嬉しいですね。あの曲は『METABOLISM』で非常に柱になっていると思いますから。このアルバム・コンセプトとして“チャレンジ”っていう言葉が出てくるくらい、挑戦にあふれているアルバムなんですけど、「回想の詩」というのも初のチャレンジで、自分たちの原体験を直接導入したんですよ。
例えばジャクソン・ブラウンやEAGLESを中学時代に聴いてきたことも、大学のときに初めてAORを聴いてからの音がSING LIKE TALKINGの音になったこともひっくるめて、ちゃんと自分たちの音で出したいと思うようになってきて。だから詞の世界として、ビリー・ジョエルの「PIANO MAN」だったり、EAGLESの「HOTEL CALIFORNIA」のような“情景をひたすら歌う”っていう。日本の詞の中にはなかなかない・・・。どうしても日本の詞ってかなりの比率で心情を描くことが多いでしょ。
でも「HOTEL CALIFORNIA」みたいに、発信する側がひたすら小説のように客観的に物事を捉えた内容が海外の詞にはすごく多いんです。それは逆に映画と同じで、受ける側が「何を言っているんだろう?」って考えたりするんです。映画ってストーリーがありつつ、そこから自分で何を言いたいのかを探すわけじゃないですか。そういう部分が日本の歌の世界にもっとあってもいいんじゃないか、と思ってトライがあったんですよね。
そういう挑戦もありながら原体験をしっかりと認めた素直な部分がこのアルバムには一番出ているから、チャレンジ色がフッと逆転して伝わったのかなと思うんですけどね。
――なるほど。
佐藤:でもこれは自己分析なのでわからないんですけど(笑)。「回想の詩」は最初から7分にして長い私小説にしようと思ってたんですよ。
それで、他で自分のバンドを組んでいた(藤田)千章に詞を書いてもらって僕が曲作りたいと……書いたことないんだけど(笑)。でもそういう形でやってみたいと思ったんですよ。あいつがポプコン(ポピュラー・ソング・コンテスト)とかに出ていたのを観て詞がすごくいいと思っていたので、彼を口説き落として大学へ入りがてら東京で2人から始めたんです。

――ところで、竹善さんが作曲するときは打ち込みで作るんですか?
佐藤:いや、僕は機械がまったく使えないんですよ(笑)。相変わらずラジカセを使ってギターかピアノ。もう完全にアナログで、全然覚えないんです。結局千章が覚えてくれるんで、なるべくそういう努力とか労働は避けたいっていうね(笑)。
――(笑)。では、作った楽曲をメンバーに説明をするときはどんな行程なんですか?
佐藤:曲によりますね。『togetherness』のときはけっこう決めごとがあったので、音符で一生懸命書きながら(笑)。あとはスタジオに行って「ここは必ずこうやってください」っていうような場合以外はもう自由でした。そして『ENCOUNTER』までのときはかなり作り込みましたね。自分でスタジオでダビングして「ドミソよりミソドの方がいいな」ってバランスまでとって、全体像が見えてから作業をしていました。
逆に『togetherness』以降はスタジオに入るまでは一切それをやらなくて、それが『Welcome To Another World』まで続くんです。でも『METABOLISM』からは、スタジオで最終的に出てきたバンドの空気感やアンサンブルの音が一緒になったものを見ないと、各演奏陣の個性を超えた作品が持つ、パワー感っていうのが感じられないと思って。だからデモテープはちゃんと作るんですよ。
――それをプレイヤーにコピーしてもらいながら。
佐藤:その上で、実際にスタジオでやるときには演奏者のパワーと空気感を最大限に出してもらうという。僕らの『ENCOUNTER』までのデモテープは、画面のデッサンを限りなく最終系に近い形で描きつつ、それを演奏に差し替える。『togetherness』から『Welcome To Another World』まではスタジオ・ミュージシャンから何が出てくるのかっていうところがメイン。
『METABOLISM』以降はバンドのリハーサル用デモテープを作るので、両方をバーチャルでやっているような感覚なんですよ。各ミュージシャンにある程度の形を組み上げてコピーしてきてもらうんです。それをスタジオで演奏してもらいつつ、だんだんその人のカラーも引き出しながら「あなたしか弾けないそのとおりに」っていう感じでバンドの音を作るんですよ。
――前回のツアー(02年のツアー“LIVES”)で新曲も披露されましたけど、今度のアルバムはその流れを汲む感じになりそうですか?
佐藤:そうですね。それこそ『0[l∧v]』の後に『Humanity』っていうものがあって、そして『togetherness』の次に『DISCOVERY』(95年)ができたように、『METABOLISM』の流れで今だけの挑戦みたいなものに満ちあふれているんですが、それを土台にしつつ今までの自分たちを踏まえた上で、現在の僕らの中でのロックな作品になるんじゃないかと思うんです。
実はね、『0[l∧v]』が出たときも『togetherness』が出たときも周りから毎回同じことを言われたんですよ(笑)。
――そうなんですか(笑)!?
佐藤:『0[l∧v]』が出たときに「何でこんなにポップになっちゃったの?」って言われたんですよ。「それまでもっとフュージョンでファンキーだったのに何でこんなポップスになったの?」って。それから『Humanity』が出たときには「昔の感じにもなったけど、でもちょっと難しくなったよね」とか(笑)。『togetherness』ではそれまでのファンはすごく大騒ぎしたんですよね。「これは13CATSじゃない?」って(笑)。だから今回の『METABOLISM』での反応もね、初めて経験することではないので、自分たちではマイペースで次を見ているんです。
ただ、売れてきた枚数がどんどん増えてきたでしょ。その数が多い分、意見が来る数も多いんですよ(笑)。いろんな意見がね(笑)。
――そうですよね(笑)。
佐藤:1st、2nd、3rdってほとんど売れてないから、騒いでも所詮こんなところなんですけど。それ以降の騒ぎっていうのは半端じゃないんですよ、『METABOLISM』に対しては特に(笑)。
――予想はついてましたが、そんなにすごかったんですか?
佐藤:すごかったですよ。実際、売り上げも1/4くらいに落ちましたしね。でもこのアルバムで初めて僕らを知った人たちっていうのは、まだ数的には少ないけど非常に密度が高い。それはツアーを回って感じましたね。お客さんの層や雰囲気が変わって、昔からの人も混在していた感じ。そこをレコード会社の人たちはネガティヴに感じるんでしょうけど(笑)、僕は、始まりとしてすごくポジティヴな空気を感じました。
僕がかつてスティ−ヴィー・ワンダーを武道館に観に行ったときに、「Part-Time Lover」(85年)が大ヒットしたときだったんで、それ系のポップス・ファンみたいな人と、昔の『IN THE KEY OF LIFE』(76年)を聴いてきた人、もっと古いモータウンやボブ・ディランの曲を歌っていたころのファンとかが混在していて、曲ごとに反応が違うんですよ。「あ、この曲ね」って冷静に観ていたのが「あっ、この曲聴きたかった!」って逆の態度に変わるみたいな。でも何だかんだ言ってもこの人たちはステーィヴィー・ワンダーを愛してここにいる、っていうのを感じたんです。エリック・クラプトンなんかもそうなんですよ。最終的に今みたいな次元に移っても、武道館でライヴをやれば、やっぱりお客さんは何だかんだ言いつつそこにいるっていう。
アルバムを重ねていくキャリアの本当の意味じゃないか、と。だから次のアルバムもその次も非常に楽しみなんですよ。■
ALL TEXT:MANABU IGETA
SPECIAL THANKS:
TAKAMASA OHWADA(C.I.A)
KAZUMASA TAKASE(UNIVERSAL MUSIC)
BMG FUNHOUSE