プロデューサーであり、ミュージシャンの佐久間正英。伝説のプログレ・バンド、四人囃子のベーシストとしてデビュー(75年)。その後、作編曲活動と並行してPLASTICSにも参加。79年P-MODELのアルバムをプロデュース。以後、プロデューサーとして、BOOWY、ストリート・スライダース、UP-BEAT、BLUE HEARTS、エレファント・カシマシ、黒夢、GLAY、JUDY AND MARY、Hysteric Blueなど数多くのアーティストをプロデュース。84年からはソロ・アルバムも発表している。01年、佐久間正英(Gt&Key)、土屋昌巳(Gt)、ミック・カーン(Ba)、屋敷豪太(Dr)、ビビアン・スー(Vo)というメンバーでThe d.e.pを結成。そんな氏に、音楽との出会い、楽器との出会い、四人囃子、プロデュース・ワークまで深く話を聞いた。最後には最適なバンド練習のコツを聞いたのでバンド・マン要チェックである。

01.11.23
専門学校ESPミュージカルアカデミーにて取材
ーー今回は佐久間さんの音楽経歴をたどりながら、お話を聞かせていただこうと思っています。まず最初に、音楽との出会いはいつ頃でしたか?
佐久間: 2歳の時にベートーベンの「運命」を聴いたのが初めてですね。それだけは鮮明に記憶してます。父親の知り合いの人の家に行って、そこでかかっていて、すごく楽しかったんですよ。自分の中の記憶で言うと、音が鳴っているところから音に合わせて光りがでたりして、自分が指揮するとその光りがついてくるんです。それがすごく面白くってずっと指揮してたんですよ(笑)。
ーーすごいですね、2歳の記憶があるというのは。胎教で音楽が流れていたという環境だったんですか?
佐久間:いや。そういうものではなかったと思うんですけども、たまたまその知り合いがそうだっただけで。実際には母親が三味線の先生だったんで、音楽には触れてはいたんですけどね。三味線の音で目が覚めるみたいなこともあったりね。
ーー粋な生活ですね(笑)。それでは、楽器との出会いは?
佐久間:小学校1年でピアノを自分でやりたいって言ったんですよ。近所に音大に通ってた先生がいたんで、その人のピアノ教室で教えてもらいました。実際には2カ月行ったか行かないかで先生が急に引っ越ししちゃって、近所にピアノの先生がいなかったんでそこで終わりました。約2カ月でバイエルが終わってね。
ーー譜面はすぐ読めたんですか?
佐久間:小学校1年の音楽の授業で、ト音記号やヘ音記号とかを教わって、それで覚えたんです。その後は音楽の授業の中でいろんな楽器を触ったりするぐらいしかなかったですね。次の段階は中学に入って吹奏楽で、トランペットをやりました。同時にギターも始めましたね。
ーー数ある楽器の中からトランペットを選んだのはなぜですか?
佐久間:本当はサックスをやりたかったんですけど、めちゃくちゃうまい人がいて、これは絶対かなわないだろうなって感じでね。僕の兄貴も音楽をずっとやっていて、1年上で同じ吹奏楽にいて、もうめちゃめちゃうまかったんですよね。いつも兄貴に対するコンプレックスで、がんばってたんですけども。それで、兄貴が唯一できなかったのがトランペットなんですよ(笑)。
ーーコンプレックスを抱いていたお兄さんが出来なかった楽器をやったんですね(笑)。
佐久間:そう。兄貴は小学校1年生ぐらいからずっとギターをやってて、僕はギターだけは興味なかったんです。ギターって不良なイメージがあったですよね。で、中学になった時に初めて触ってみて、たまたまクラスの友達とベンチャーズとかやったりして、そしたらものすごく面白くてね。吹奏楽って音符での決めごとがあるじゃないですか。だから、吹奏楽で感じなかった面白さがあったんですよ。
ーーギターを始めた頃は時代的にベンチャーズが全盛だったんですか?
佐久間:全盛ですね。ベンチャーズのコピーから始めて、半月後ぐらいにはインストのバンドをやってました。その後、中2か中3の頃、初めてギターで仕事が来ましたね(笑)。ビアホールなんですけども。音楽でお金もらった最初がそれなんです。
ーーすごすぎる……(笑)。中2か中3で、ですか?
佐久間:まぁ、体が結構大きい方だったんで、あんまり子供に見られなかったんですけど。さすがに学校にバレたりするとヤバいんで(笑)。
ーーということは、当然譜面を読んでいくわけじゃないですか。ギターも譜面でやってたんですか?
佐久間:そうですね、読めます。ギターの勉強始めてから、コードもCとかFを覚えていきました。
ーー最初ギター弾いた時ってFは押さえられたんですか?
佐久間:いや、押さえられなかったですよ。トレーニングして(笑)。家にあったセミアコみたいなギターで一生懸命練習してました。
ーー小学校でのピアノも当然練習しますよね。吹奏楽もしかり。楽器を弾いて嫌になったことはないんですか?
佐久間:嫌になったことはないですね。ウチの学校の吹奏楽はレベルが高かったので、かなりキツかったですけど。でも、ギターの方が楽しかったですね。トランペットの方は、芸大行くのが当たり前みたいな中でやってたんで、もう滝にうたれる修行のようなって感じですかね(笑)。それで、バンドで発散してた感じですね。
ーーその後、高校に入ってバンドを続けて?
佐久間:そうですね。中学生でギター始めた頃に“不良だ”とか言われてて、別に不良じゃなかったんだけど、それが高校ぐらいになるとだんだん本当の不良になっていくんですよ(笑)。長髪にはなるわ、音は歪むわで(笑)。でも、あの時代がすごかったのは、中学1年でベンチャーズ全盛だったのが、半年後にはすでにビートルズに変わって、日本でもグループ・サウンズが流行って。そんなことがすごく短期間だった。僕が高校卒業するまでの6年後には、ピンク・フロイドやキング・クリムゾンの時代に変わってましたからね。
ーー短い期間にいろんな音楽が出てきた時代だったっと。
佐久間:でも僕が高校の時に一番影響受けたのは早川義夫と藤圭子なんです。
ーーまた、意外な組み合わせなんですね。
佐久間:外国の音楽にどっぷりはまってたんですけど、日本のもので、すごく印象的だったんです。