『一触即発』
四人囃子

PCCA00586
『ゴールデン・ピクニック

四人囃子
CSCL-1245

 

 

 

 

ーー中学でベンチャーズに出会った衝撃と、ビートルズっていうのはどちらが大きかったですか?
佐久間:僕にとってはベンチャーズの方が大きかったですね。楽器を楽しさを教えてくれた感じです。ビートルズはかなり後になって音楽自体に対して衝撃を受けましたね。
ーーベンチャーズ以降は、どんな音楽に影響を受けたんですか?
佐久間:レッド・ツエッペリン、アル・クーパーとか。意外とジョニー・ウインターに影響をうけているんですよ。ジョニー・ウインターとツェッペリンはよくコピーしていましたね。
ーー高校の時は周りにいろんなバンドがあったんですか?
佐久間:そう、ありましたね。GSやってるのもあればビートルズやってるのもあって。高校2年ぐらいの学園祭でジミ・ヘンやった途端に先生が「やめろやめろ」って言い出して(笑)。それで人に注意されるような、危険な音楽なんだなって逆に認識しましたね(笑)。
ーーそれが一般的な考え方だったんですよね。
佐久間:やっぱり歪んだ音っていうのは危険なものっていう香りがしたんでしょうね。先生達はジミ・ヘンだからやめさせるとかじゃなくて、歪んだ音に対する情報を知ってたんですよね。
ーーでもそういうふうに規制されれば余計にやりたくなりますよね。
佐久間:そうですね。これはかっこいいもんだってね。
ーープロを意識したのはいつ頃ですか?
佐久間:それは中学ですね。
ーー確かに、中学でプロの仕事してましたね(笑)。高校卒業となるとどうなっていくんですか?
佐久間:大学に入って、またバンドとかをやって。その時一緒にやってた友達の紹介で四人囃子と会うんですよ。でも、会ってみたら中学の後輩だったんですよ(笑)。
ーー四人囃子を初めて聴いた時はどういう感じだったんですか?
佐久間:もう新鮮でしたよ。演奏力や作曲がすごかったですね。僕は別のバンドを組んでましたけど、よく一緒にライヴをやってましたよ。
ーー佐久間さんが組んでいたバンドはどんなジャンルだったんですか?
佐久間:やってたバンドはプログレですね。プログレの体験は大学1年か2年ぐらいに、ピンク・フロイドを初めて聴いたと思うんですけど。それで、キーボード・トリオがやりたくてベースを弾くことになったんです。
ーープログレのベースというの難しくなかったですか?
佐久間:難しかったですけどね。最初ギターみたいに弾いてたら、なかなかうまくいかなくて。ベースの弾き方をちゃんと考えるようになりましたね。
ーーベースを弾くようになって、影響を受けたミュージシャンは誰ですか?
佐久間:あとで思い返して一番影響受けてるのはやっぱりポール・マッカートニーですかね。
ーー大学卒業後、四人囃子に入るわけですよね?
佐久間:そうですね。たまたま前のベースが抜けたっていうのがあって1st『一触即発』(74年)をだして、その後シングル出す時にはかかわってましたから。
ーー四人囃子はプログレと意識してやっていたんですか?
佐久間:いや、実際にはそういうわけじゃないんです。キーボードがかなり活かされたってことでプログレっぽく言われたんじゃないですかね。あとは、音が汚いバントがいっぱいいる中で、四人囃子は非常に音が綺麗だったんで、それがプログレの印象を強くしたんじゃないですかね。シンバルの音ひとつにしても細かく気を使って。でも、実際にメンバーに入ってみると、本人達はプログレでもなんでもなく、ただいろいろ遊びをやってたっていうことだったんですけど。
ーー2nd『ゴールデン・ピクニック』(76年)を発表後、森園勝敏さんが脱退してからは、四人囃子をどういう形にしようと思ったんですか?
佐久間:キーボード・トリオでもいいんじゃないっていう感じでやってましたね。
ーーそこから自分達の活動もありながら、ベースを弾いたりアレンジしたりという個人の活動もやってたんですか?
佐久間:実際には、昔のバンドは今と違って、お給料が出るとかじゃなくて、バンドをやっても食えなかったんですよ。四人囃子はたまたま演奏がうまかったから、仕事の話がきやすかたですね。
ーー四人囃子の時代は他にどんなバンドがいたんですか?
佐久間:カルメン・マキ&OZ、ハルヲフォン、(内田)裕也さんはずっといて(笑)、あとはクリエイションとか…。その中では僕らは一番若いほうだったんですけどね。